坊守のつぶやき 24号
2023年1月 松の内も開けお参りも一段落した頃、京都の東山にある大谷祖廟にお墓参りに帰ろうと神田駅を歩いていました。出勤する人々の流れに混ざり歩いている時、一瞬目線を下げ上げた瞬間、目の前におじさんがいた。白髪混ざりの短髪で、オレンジとグレーのヤッケを着ていた。
ーえっなに!ーと思った途端、ドォーーーーーーンと正面からぶつかられた。よく世間を賑わしている“ぶつかり男”とか“ぶつかりおじさん”タックル男”とも呼ばれている、駅中や街中に出没して女性にわざと体当たりする男性のことだ。
私は気がついたら駅の床に倒れていた。転倒したのだ。それだけ強くぶつかられた。
周りのサラリーマンさんに心配されつつ、電車の時間が迫っていたので急いで起きあがってはみたものの、ーなんだぁ今のおっさんは•••腹が立つ!!!ー
人生何が起こるか分からない。ひょっとしたら転倒した時に頭を打っていたら、死んでいたかもしれない。本当に人間はいつも死と隣り合わせに生きているんだなと。
住職に話をしたら「そういう場所では、顔を上げて歩かないといけない」と言われたが、それも至難の業だ。人の流れにそって切符を出したり財布をしまったり、トロトロ歩いては邪魔になるし、急に立ち止まれないし。
まさかそこにぶつかり男が出没しようとは夢にも思っていなかった。油断してました。
何が起こるか分からないと気が付いてはいても、毎日毎日、油断ばかりしているのが私たちです。
蓮如上人は御文の中で『往生の期もいまやきたらんと、油断なくそのかまえは候う』と、気をつけるようにと言われています。
「何を言っても命が終わってしまっては、役に立たないことです。命ある内に念仏往生の道理について疑問をなおざりにすることなく早く明らかにしなければ必ず後悔ばかりになりましょう。よく心得てください」と。
ーほんとに今は元気でも何があるか分からないわ。後生の一大事によくよく気をつけなくっちゃー
しかし、ぶつかり男もぶつかる事でストレス発散して、弱者をいじめて、そんな事でしか自分のちっちゃなプライドを維持できない可哀想な小心者なのね。弱者を屈服させたつもりで優越感を持とうとする! 自分の欲に気付き、理解し、受け止めて、考えを改めて欲しいものです。
とはいえそんな私も••• ーあんなおじさんには、バチが当たればいいのに!ーと。やれやれ、まだまだだなぁ(汗)
釈迦のことば
ぶつかり合う人のなかで、ぶつからず
殺し合う人のなかで、殺さず
奪い合う人のなかで、奪わず
平安に生きる人
その人を私は尊敬する
(サムユッタニカーヤ)
どこをさがしても、自分より愛しいものを
見出さなかった
そのように他の人々にとってもそれぞれの自分が愛しいのである
それ故に自分を愛する人は他人を害さない
(サムユッタニカーヤ)
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