今月の言葉

 
「明日からやろう」と40回言うと 夏休みは終わります。
 
「この身今生において度せずんば 
 いずれの生においてか 
 この身を度せん」(三帰依文)
 
「宗教は、なぜ必要なのか」
  そう問う人にこそ
  宗教は必要である。(西谷啓治)

坊守のつぶやき 21号

 
提婆達多という人物をご存知でしょうか?
ダイバダッタと読みます。
仏教に詳しい方は『観無量寿経』の「王舎城の悲劇」を思い出されるかもしれません。

 ダイバダッタはブッダ(お釈迦様)のいとこになります。勉強もスポーツも良くでき、いつもリーダーシップを取れるのにいつも2番手。
頑張っても何をしても、1番のブッダには勝てない!
妬み、恨み、いつしか「ブッダを超えたい」との想いに囚われ、マガダ国のアジャセ王子を引き込み、王子に国王を殺させ、自分が教団の長になることを目論んだのです。
 ブッダを殺すために、山の上から巨石を転落させたり、酒を飲ませた狂象に襲わせて殺そうとしたり、でもことごとく計画は失敗に終わったのでした。
 
 やがてブッダが、アジャセ王の母親の韋提希夫人(イダイケブニン)を真実の幸せに導くと、アジャセ王もブッダに帰依します。
 そこで、ダイバダッタは自分の爪に毒を塗りこめ、ブッダを引っ掻いて殺そうとします。が、足下の石につまずき、手をついた拍子に爪が剥がれて自分の体に毒が回り、その場で苦しみながら息絶えました。五逆罪を犯し無間地獄に堕ちた最後でした。
 
 ダイバダッタは極悪人と言われてますが、私はなんだか他人事とは思えないのです。
余程年上の人や、優れた能力を持った人には嫉妬は起こりにくいのですが、年が近かったり、同じくらいの生活レベルの人の成功話には、モヤモヤフツフツと妬む気持ちが出てきます。  
 仏教では「愚痴(ぐち)」と言われ、百八ある煩悩の中でも恐ろしい「三毒」の一つです。
 でもそんなモヤモヤを抱えている本人が、本当は一番しんどいのよね〜、ダイバダッタもしんどかっただろうなと思ったりします。
―そんな気持ちになるのは自分が未熟だからだーとか、―何故同じ事が私にはできないのか!―など自分を責めて自分を卑下します。辛いですよね。そこに苦しみが生まれてますからね。
 親鸞聖人も「私たち人間=凡夫は、欲や怒り、嫉み妬みの愚痴の塊であり、この心は死ぬまで止まることも、消えることも、断ち切れることもない」と、断言されています。 
 では、「愚痴」の心が起こったときはどうすればいいのよ? 
自分の中のダイバダッタに気づき、苦しいけど受け止めるしかないのかな。そうすることで、自分で乗り越える術を見つけられるのかも!
 
 亡くなった樹木希林さんが「夫(内田裕也)は私にとって提婆達多」と言っていました。
「たくさんのダイバダッタに出会い、自分もダイバダッタの時もあった。そんな難の多い人生を受け止め、見方を変えることで素晴らしいものに見えてくる」と。
 
 お釈迦様は、『ダイバダッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なのだ。全ては自分を成長させてくれる有難い存在である。』と、許されてました。 
 
 今日も私は、ダイバダッタに会いたくもないし、ダイバダッタになりたくもないと思う、どうしようもない凡夫を生きています。「生きて行くことが修行なのよね〜」と独りごとながら。
 
 
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