坊守のつぶやき 18号

 
 『東京 タクシードライバー』という運転手さんを見つめた、ノンフィクションの文庫本を読んでいました。 
 
 その中の一人の男性は、「あの、本当に私、なんの取り柄もない愚か者なんで」と、巨体を縮込めるようにして、小さな声で話す人でした。
 小学校の転校先で、ひどいいじめに遭う、中学校に進学してもさして状況は変わらず、学校に馴染めないまま卒業しました。
 横浜高校で応援団に入部して、きつい地獄の合宿も、厳しい練習にも耐え、応援指導部員として高校生活を全うして、名誉あるバッヂを授与されたのです。
 
その後の人生でも、再びパッっとしないモードに逆戻りしてしまい、転職を繰り返してタクシー運転手に落ち着いた。
男性にはタクシー運転手の仕事が合っていた。周りの人から精神的に追い詰められることもなく、喜んでもらえるお客さまの言葉があって、それがお金には変えられない財産だと思う、と話された。
 作家が、傲慢な質問を男性にします‥‥
 
「◯◯さん、生きていてなにが楽しいですか」
「自分が喜んでいると、それがお客様にも伝わって、お客様も喜んでくださるのかな、なんて。自己満足かもしれませんけど、人間は人に喜んでもらうために、生きているのかななんて思います。」 
「◯◯さんの宝物ってなんですか」
「バッヂです。逆境でも、もがいている時でも、やっぱり、バッヂがあるんで」
 阿弥陀経の中に「雑色雑光」という言葉が出てくる。さまざまの色が、さまざまな色のまま、それぞれに光り輝く様を指す言葉だという。」と作家は最後に締め括っています。

 
 阿弥陀経の中に「池中蓮華(ちちゅうれんげ )大如車輪(だいにょしゃりん)青色青光(しょうしきしょうこう)黄色黄光(おうしきおうこう)赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)白色白光(びゃくしきびゃっこう) 
《仏さまの世界には美しい池があって、その池の中には大きな蓮の花が咲いていて、それぞれの色がそれぞれの色で美しく輝いている。比べることもなくお互いを認めあっているんだよ》と。
宗派依用の『阿弥陀経』には「雑色雑光」(ぞうしきぞうこう)はありませんが、異訳本に「白色白光」の後に「雑色雑光」とあるそうです。
 
 世の中には、目立つ人もいれば、目立たない人もいます。
ネットでもインスタグラムやフェイスブックなどで、充実した日々を送っている人々の写真や文章で溢れています。
 そんな人々を目にしたら、―わたしの人生なんて比べるとつまらないなぁ、と拗ねてみたり、いいわねあの人はなんでも手に入れて、と僻んでみたりー なんだか心がモヤモヤします。
 でもそんな目立つものにも、目立たないものにも、仏の光明は一切を包み抱いて、自信を持って生きよと、教えてくれてます。
僻んだり、拗ねたりする必要は無いのです。
つらいこと、悲しいこと、いろんな出来事がいっぱい混ざりあった人生だけど、色々混ざりあってるから輝いているんだと教えてくれます。
 
 スマップの『世界に一つだけの花』のベースにもなったと言われているのが、このお経の言葉だったそうです。
 
 ♬  小さい花や 大きな花     

  一つとして 
  同じ花はないから
   NO.1にならなくていい
  もともと特別な
   Only one  
 
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