永代経を勤修いたしました。
永代経勤修
毎年五月の第三日曜日に欠かさずお勤めしている『永代経』を今年も五月十六日(日)に緊急事態宣言中ということもあり、法要の内容を一部変更して勤修いたしました。
いつもですと、参詣の皆さんと『正信偈』を唱和する声が本堂に響きますが、マスク越しの小さな声でしたが、同朋唱和ができましたことは大変うれしいことです。
藤井憲昭氏よりご法話をいただき、お斎(食事)はお持ち帰りで解散となりました。
なお、以下の方々より永代経ご懇志をお供えいただきました。
五十里清、酒井礼子、山下裕三、松矢孝次、藤井憲昭、下田將文、関谷清吉、田中啓治、加藤和秀、奥田昇、松田真一、越智徹、黒川正男、杉浦正宣、大畠正巳、中西京子、松浦節子、臼田詔子、福田忠、福田清、杉浦茂、黒田恵、三木昇(敬称略・順不同)
法話要旨
コロナ禍以前の、私達がごく普通の日常生活を送っていた頃のお話をさせていただきます。私は年に数回、横浜・桜木町にある「にぎわい座」という寄席に足を運びます。ご存じの方もおられるでしょうが、最初は前座さんといって噺家として修行中の若い方が出てまいります。その後、漫才、曲芸、物真似等の芸人さん達が客席を楽しませてくれます。
最後に真打ち、名人、師匠と呼ばれる方の登場です。その日の“取り”の名人は四十年前よくテレビに出ていた落語家さんで、生で観るのは初めてということもあり、とても楽しみにしていました。出囃子にのっていよいよ名人登場。あれれ、頭は真っ白、腰が曲がったお爺さんではありませんか(失礼)、四十年も時が、過ぎれば私も同様な姿にと納得しました。
正面に名人が座り、客席に向かって深々と頭を下げ語り始めたのですが、声が小さくて何を言っているのかわかりません。少しイライラしながら聞いていたのですが、十分、十五分と過ぎてくると二階席まで届く張りのある声になり、物語の中に吸い込まれてしまうようでした。
なるほど、これが名人の話芸か、と感心してしまいました。落語は物語の最後に「下げ」とか「おち」といって、この一言でもって物語を完結させる訳です。いよいよ名人の語りも下げが近づき、さあ、ここで・・・一秒ほどの沈黙があり、名人は「お粗末様で御座いました」といって舞台の袖に消えてしまいました。笑いもなく、拍手もないまま客席が明るくなり、そこでやっと現実を受け入れることができました。名人は下げの言葉を忘れてしまったのだと。信じられない出来事と同時に貴重な体験の場に今立ち会えたのだという複雑な思いを懐き「にぎわい座」を出ることにしました。向かいに野毛といって昔から飲み屋街があるので、私は寄席の帰りにいつもそこに寄って、その日に出演された芸人さん達の芸を振り返りながら静かにお酒を飲むことが至福の時でもあるのです。
私達は一人ひとりが主人公として人生を歩んでいるわけですが、その人生にも必ず、幕が降りる日がやってきます。その時にですよ、いろいろあった人生だったけれども、私はこういう人生を歩んだ者ですと、一言で語ってほしいと聞かれたら、どんな言葉で応えるのですか、努力もし、頑張った、耐えてきたことのすべてが「わからない」という言葉しか浮かんでこなかったとしたら、先程の名人と同じ事になってしまいませんか。一生懸命語っても最後の最後で下げの言葉が出てこなければ、それまでの時間のすべてが無意味になってしまうのです。
誰もがそうだと思いますが、人生って良いことばかりではなかったでしょうし、むしろ失敗したり後悔することの方が多いのではありませんか。それらすべて経験を背負った私が今ここに在るのです。それは成ろうとして成った私ですか?成りたくて成った私ですか?無数のご縁をいただいて今の私は私にまで成ったのです。
真理とか真実・道理という難しい言葉がありますが、今の私に成った私の外に真実はありません。真理とか真実とは何かといっても多くを語る必要はないのです。
金子大榮という先生は、
たとい一生を尽くしても
悔ゆることのない
ただ一句の言葉との出会い
南無阿弥陀仏
西光寺さまの伝道掲示板、『響流』という寺報の一字一句には住職と坊守からの願いが込められています。賜った“いのち”を「空しい」という一言で終わってしまうような人生でよいのですかと“説法獅子吼”し続けているメッセージであるのです。