今月の言葉 

いったい幾つの耳を持てば 
人々の泣き叫ぶ声が
聞こえるのか
あまりに多くの人が 
死んでしまったと気づくまで
いったい幾つの死が必要なのか
    Blowin’ in the Wind
      (風に吹かれて)
        Bob Dylan

 
剣をとる者はみな
剣で滅びる
    新約聖書
 
 
国豊かに民安し
ひょうが
兵戈(兵隊や武器)
用いることなし
    仏説無量寿経

元号がかわるという一年でした

 

 元号がかわるという一年でした。尤も江戸時代までは一世一元制ではないので例えば天変地異が起こると改元ということも度々ありました。二〇一九年もそれで改元したわけではありませんが、「千年に一度」の豪雨や、「これまで経験したことの無い超大型」の台風が次々と起こり「いのちを守る行動をとるように」と何度も呼びかけられた年でした。沖縄やパリでシンボル的な建築物の火災もありました。
 9月に行われた国連の「気候行動サミット」では、これだけいのちの大地が汚され、生存が危うくなることが危惧されるにも関わらず具体的な気候変動対策を打ち出せない各国首脳に対して、160ヶ国計400万人以上が「気候ストライキ」に参加した、と報道されました。特にスウェーデンの少女から、「人々が苦しみ、死んでいる。生態系全体が破壊され、絶滅の始まりに直面している。それなのにお金や永遠の経済成長という信じられない話ばかり。よくもそんなことができますね」と真実を言い当てた発言がありました。しかし、二十世紀に大国と言われた米露の指導者は「明るく素晴らしい未来を期待する非常に幸せな少女」などと揶揄することしかできません。熱帯雨林保護に消極的なブラジル大統領は、少女が違法伐採について語ったことに「なんでメディアは、あんなガキにスペースを割くのか」と”逆ギレ“し、問題の認識について驚くほど深刻な落差を感じました。
 十一月にはローマ教皇が来日し、「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、平和と安定の望みへの最良の答えではない」「戦争のために原子力を使用することは犯罪だ」と明快なメーッセージを残した。安倍首相は唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約に批准していない中で、次のよう語りました。「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』実現に向け、国際社会の取り組みを主導していく使命を持つ国」と強調し、「私たちはこれからも、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を促す努力において決して倦むことはない」と、私の認識不足なら申し訳ないが、安倍さんがそのような行動をとったということは聞いたことがありません。安倍さんはこの手の「やってる感」を出すだけの発言が多すぎてと、多くの方が思っていることではないでしょうか…。ですから25日に官房長官は「日米安保体制のもとで、核抑止力を含めた米国の抑止力を維持、強化することは日本の防衛にとって現実的で適切」と語ったのでしょう。現実は確かにシビアですが、だからこそ理念・理想が問われるのではないでしょうか。それを語れない政治家とは何者でしょうか。
 教皇はこう言います「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」と。
 仏法を聞いてどうなるのかという問いに、真実(本当)を知るといえるでしょう。親鸞聖人は主著『教行信証』に「真実」という語を311箇所使われていると、先日の秋葉原親鸞講座で聞かせていただいた。本当を知るとは嘘が嘘だとはっきりするということでしょう。
 

 ところで、昨年5月は忌野清志郎さんが亡くなって10年目でした。チェルノブイリ原発事故のあと、ロックのスタンダードのカヴァー曲集という「COVERS」を広島原爆の日に発売すると発表しました。直後にレコード会社(親会社は原子炉事業も行っていたが後に莫大な負債を負う)が全国紙の全面広告で「素晴らしすぎて発売できません」との「お知らせ」がありました。それがかえって反響を呼び終戦記念日に別の会社から発売されました。エディ・コクランの1958年のヒット曲『サマータイム・ブルース』では、

「電力は余ってる/要らねえ/欲しくない/原子力は要らねえ/危ねえ…。原子力発電所が建っていく/さっぱりわかんねぇ/誰のため?」  
 その他「世界が破滅するなんて嘘だろ」(「明日なき世界」)、「何言ってんだー/ふざけんじゃねぇー/核などいらねぇー」(「ラヴ・ミー・テンダー」)と日本語の“訳詞”で歌われました。
「海は街を飲み込んで ますます荒れ狂っている」(「激しい雨」2006年『夢助』所収)3.11で大津波、原発事故の予測は不幸にも現実となりました。
 清志郎さんはこう記しています〈どーだろう、…この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?戦争を放棄して世界平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう、平和に生きよう…〉(『瀕死の双六問屋・完全版』)

 12月8日はお釈迦様がお覚りを開かれた日(成道会)ですが、ジョン・レノンの命日であり、日米開戦の日でもあります。その日の前に訃報が届きました。永年政治の思惑や干ばつで荒れ地となったアフガニスタンで農業復活が大事だと用水路を築く活動を続けてこられた中村哲医師が銃撃され亡くなりました。患者を救うため、井戸を掘る。砂漠に水を引き、農地に変える。それが平和に繋がる。と言う中村さんの言葉や行動はシンプルで胸に響きます。2001年自衛隊派遣に対して、米国追従で日本への信頼が失われることを危惧し、「テロの発生する土壌からなくしていかないと、テロはなくならない。本当に人の気持を変えるというのは、決して武力ではない」と、憲法第9条を実践されたことにあらためて敬意を評します。
 資料がない、と説明することさえ放棄した政権に何も言えず、理念を語れない政治家が蔓延する中で、自民党にもこう語る政治家がかつてはいた。二歳で父を戦争で亡くした真宗門徒でもある古賀誠氏です。「戦争で父を亡くした遺児である私の政治目標は、日本と世界の平和の実現です。悲惨な歴史を繰り返さないためにも憲法の平和主義、主権在民、基本的人権の尊重という崇高な精神は常に忘れてはならない」と。また、9条に込められた決意と覚悟を持てば、日本はほかの国と同じ道を歩む必要はない、だから世界遺産なのだ、これを日本の宝として後世の人たちへの贈り物として護り抜いていきたい、とも語っている。
 ローマ教皇フランシスコはこう言って帰っていった。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態をさばくだろう」と。
 憲法改正も原発事故も、ほかならぬ自分自身の問題だから清志郎さんは歌わずにはおれなかったのだろう。
 翻って私はどうか。歌いたい歌を歌っているか。理不尽な税金の使い方に怒っているか。忖度ばかりして仲間だけ優遇されることはおかしいと言えるのか。
 〈何 やってんだー〉と言われないよう生きていきたいと思います。