作家の五木寛之氏は

作家の五木寛之氏は、一時休筆をして浄土真宗を学んだ方ですが、先般こんなコラムを読んだ。
知人で、今年の正月に神社で〈大凶〉の御神籤を引いた人がいた。(略)今年は親鸞の生誕八百五十年とあって、いろんな行事がおこなわれるらしい。親鸞という人は、いわゆる吉凶にこだわらなかったという意味で、当時めずらしい宗教家だった。それだけでも驚くべき思想の持ち主である。二十一世紀に生きる私たちでさえも、どこかに非合理な発想が骨絡みになっていることを思えば、凄い。
 私たちはいまだに迷信めいた非合理な感覚を、心と体の深いところに抱えて生きている。エビデンスなどと口ではいっているが、ふだんの暮らしは、科学的合理的根拠のまったくない想念に左右されることが少なくないのだ。
 私が毎朝、軽くひと回りする公園の入口に、階段がある。三ブロックになっていて、途中で休みがとれるようになっているのだ。最初の階段が十三段。二つ目のブロックも十三階段である。そして最後の階段が四段。合計三十段の石段だが、区切りかたがよくない。絞首台の階段が十三段だというではないか。(略)最後の四段というのもどうだろう。死段というイメージも頭をかすめる。(略)私の方は、ときどき親鸞について文章を書いたりしているくせに、無意識の領域には、さまざまな迷信がとぐろを巻いて居座っているのだ。(後略)」 (週刊新潮連載「生き抜くヒント!」第 438 回より)
 親鸞聖人が だれもが念仏の教えに触れられることを願い、和讃 (和文で賛嘆)を多く作られた。その中に
かなしきかなや道俗(どうぞく) の 良時吉日(りょうじきちにち) えらばしめ 天神地祇(てんじんじき) をあげめつつ 卜占祭祀(ぼくせんさいし) をつとめとす と悲嘆述懐されておられる。
 近年は儀礼的なことは面倒くさいとして、合理的に物事をすすめる時代となった。お葬儀も一日ですますとか、火葬だけすればという考え方の人も増えてきたようだ。
 しかし、それでもそのお葬式は友引をさけるとか、仏滅に結婚式を上げるのは良くないなど、誰がどういう根拠で言っているのかも分からず従っている人は多い。冠婚葬祭に限らず、方角を気にしたり、子どもさんの命名にあたって画数を調べたりと、吉凶 (きっきょう)を占ってもらう行為も疑問と思わず当たり前に行われている。
 これらは迷信であって、気にかける必要はないのだと、現代的理性で思いながらも、古くからの慣習に逆らうことを、あえてしなくても、という形で容認しつつ、なんとなく不安を感じるということか。
 日柄や方角、名前の画数を選ぶことには根拠はないと、一般論では思っていても自分の事、家族の事となると、それに従うことによって心の落ち着き場所を見つけているのだろうか。
 吉凶に怯えたり、占いに頼ったりすることは何に基づくのだろうか。それは私たち人間が、実生活の中で不安を抱えながら生きていることの裏返しであると言えよう。
 災いを除き、幸せを得ることを期待する罪福心で生きているので、これらにすがることになるのであろう。

屏風「親鸞」(左隻)井上雄彦氏(2011年)レプリカ・ミニチュア版

親鸞聖人は「僧侶も世俗の者たちも、良い時良い日に執われて、天の神や地の神を崇めつつ、占いや祈りごとに余念がありません。なんと悲しいことなのでしょう」と言われる。
 占いや祈りで心が落ち着くというのであれば、それらに従って生きることは、自分で考えるということがなく、誰かの言うがままに生きざるを得ない、ということに繋がるであろう。
 親鸞はそのような生き方を 「かなしきかなや」と言う。それらに頼って生きることが、その人本来の生き方を見失わせることになるからである。
 占いや祈りは人生を切り開くもののように思われるが、決してそうではない。かえって、その人の生き方を縛るものである。
 こうした祈りや占いごとに熱心であることは、決して宗教的な生き方であるとは言えない。それは、本来の自分ではない、主体性を見失った偽りの生き方と言える。親鸞はそのような生き方を「かなしきかなや」と嘆いたのである。 
 執われ振り回されることのない自分本来の歩むべき道を、仏教によって獲得することができた。天の神や地の神の呪縛から開放された自由な道であったと。
 それを親鸞は碍 (さわ)りの無い道(無碍の一道)と言う。何者にも碍 (さまた)げられることのない、自分本来の道を獲得する。それこそが本当の自分の人生であり、本当の宗教的歩みであるのである。