しばらく入院していました


 いささか古い話でありますが、7月に入り、新盆のお宅への新盆法要へお参りする日が続き、盂蘭盆合同法要の準備や、東京2組(西光寺が所属している宗派の教化の単位。副組長を仰せつかっています)の年度始めの教化計画や予決算書類の作成などでバタバタしておりました。以前から時々肋間神経痛(自己診断ですが)のような痛みを感じることがあり、その時も、「また出たかな」というように受け止めていました。
痛みを誤魔化しながらお盆法要も済ませましたが、お盆中も痛みが続くので最終日の16日午後から病院に行くことにしました。いろいろ検査をしても当初、なかなか原因がわからなかったのですが、CTスキャンにより「総胆管結石」と診断されました。石!?という感じです。盆中から家族には顔が黄色っぽいなどとも言われていたように、胆汁が逆流し肝臓にだいぶダメージが出ていたようです。
 また、膵炎を起こす一歩手前だとのことで、すぐ入院を勧められたのですが、次の日は門徒会の会計監査に立ち会う予定があり、次週に控えた門徒会総会の打合せもしなければなりません。次の日の18日からは三連休で本堂で葬儀を含め、法事・納骨と予定がいっぱいでした。それを済ませてからにしてくださいと医者に言いましたが、ここで3日開けたら肝臓や膵臓に相当悪影響が出ますので無理だと諭され、翌日、葬儀や法事の手配をして入院することにしました。息子の海が現在、宗門の仕事で石川県の加賀市に赴任していますが、連休は予定通り休みが取れるというので帰省してもらうことで、寺でのお葬儀・法事を任せることにいたしました。 
入院二日目に内視鏡で総胆管に詰まった石(小さなものでした)を取り除き、溜まった胆汁を体外に出すためのチューブが二日間鼻から通された状態でした。結局、7月いっぱい二週間入院していました。
一週間は絶食でしたので6㎏の減量となりました。
 入院して7日めの昼から食事が出るようになり、はじめは重湯75グラムをいただきました。一週間ぶりの口からの食事は本当に美味しさを感じるとともに、正に滋味。形はないけれどお米の命を一粒ずついただいたと感じる程身体中に染み渡る感覚がありました。重湯だけが二、三日続いた後、野菜を薄く味付けした煮物をいただいた時にも、野菜の命を頂戴しているんだ、疎かにはいただけないぞとゆっくり咀嚼して時間をかけて食事をいただいていました。
  いましたと、今ではすっかり過去形になっていますが、口から他の命を体に入れないと我が命が保てない、そういう在り方しかできない自分であるのに、何でも与えられて当たり前としか思わず、うまいだの不味いだのと分別している意識構造から抜け出せない我が身の浅ましさを思い知らされた二週間でした。
  退院する前に内視鏡で胆嚢の中の状態を調べたり、肺活量を測ったりと様々な検査がありました。それが終わると外科の医師が訪ねてきて、胆嚢に結石は見つからなかったが、胆汁がヘドロ状態になっている、これが胆管に詰まればまた同じような痛みに襲われるし、膵炎を引き起こしたり、肝臓にも悪さをしますから摘出することを勧める、とのお話がありました。私は人間の体は、もっと言えば生命体には何一つ無駄なものはないのではないかと思い話しを聞いていましたが、退院後何人かの方に急遽入院した顛末をお話しなければならなかったのですが、そのとき何人かの方が「実は私も胆嚢を取っているんですよ」ということをお話くださいました。
  無駄なものは何一つ無いけれど、いつまでの私の浅はかな知恵で握りしめていることに気づかない愚かさを教えてくださったお言葉を思い出し、9月9日に胆嚢摘出手術を行いました。こちらは5日間の入院でした。

物ならば
 捨てられるけれども
 執着は捨てられない。
何もかも
 間に合わないけれども
自分の知恵だけは
 間に合わなくても捨てない。
それを我執というのです。
             安田理深

 9日から10日にかけて鬼怒川流域で大雨となり茨城での水害の時は全く意識のない中、集中治療室で寝ていました。
  腹腔鏡でのオペなので体への負担は軽いとはいえ、少し寝返りを打つとか、トイレに起きる時など、お腹の筋肉には痛みを感じます。退院して4日目に法事をお勤めしましたが、お腹に力が入れられず情けない声のお勤めになったことでした。お彼岸も子どもたちに助けられお勤めができました。10月末までに外来で経過を見て、胆管結石並びに胆嚢及び膵臓肝臓に関しては一応完治と言うこととなりました。
 さらに入院中もう一箇所手術をした方が良いというところが見つかりました。鼠径ヘルニアとも診断されていますが、そちらについては立て続けに手術というのも気分的に気が重いものですから、今すぐどうにかなるということではないだろうということで、様子を見ることといたしました。ご心配いただいた門徒様、またわざわざお知らせするまでもないことですが、完治したということを含めてご縁ある方々に御礼とご報告とさせていただきます。
 さて、還暦を過ぎるといろいろと出てまいります。皆さまも、またご家族や身近な方の中にご病気を抱えていらっしゃる方も大勢いらっしゃることと拝察いたします。健康であることは大事なことで、それは結構なことであります。三河のお寺のご住職から寺報を毎月頂いているのですが、昨年暮れにこのご住職が腸重積という病気で緊急手術をされたことのご報告がありました。その中で世阿弥の言葉を引用されて書かれてあったことが深くうなずけましたのでご紹介いたします。



 家は雨露をしのぐほど 
 食は飢えをしのぐほど
              世阿弥


「あたりまえ」という言葉が、知恵(意識・分別・理性)をもった人間は与えられれば(獲得すれば)すべてを当たり前として、「もっと、もっと」と欲望を満たして行くことを“進歩”と称して何の疑いも持たないで来てしまったのだということを実感させられている次第です。「家は雨露をしのぐほど 食は飢え をしのぐほど」、家も食もそれぞれには「ほど」と語られるように「分」があるのだと。
 人間は、その「分」がわからなくなった時に「生きる」ということの(「分」もわからなくなったのだという)自覚を失い(“進歩”という言葉でカモフラージュしてしまい)、限りなく一生物としての「分」を失ってしまったのでしょう。
 目覚め(自覚)の内容は、釈尊の遺教に示されている「あなたはあなたに成ればよい あなたはあなたで在ればよい」(あの人に成っても、この人で在っても、私を生きたことにはならないのですから)でありました。
 今回の入院に際し、あらためて仏教の本来の意味、「目覚めの教え」という、その目覚めのないようについて教えられたことでした。(守綱寺報「清風」より)


なお、入院中の薬の影響か、髭剃りをすると肌荒れがひどく無精髭の状態でした。だいぶ良くなりましたが、まだ肌荒れがあり、またあの時の痛みを忘れないということで、そのまま一部髭を伸ばしております。決して五郎丸選手を真似したわけではありません(笑)。