門徒さんを訪ねて

第二回目 品川区 福田忠 俊子さんご夫妻

 お父上の房蔵さんの時代から、西光寺の総代をつとめていただいています。
房蔵さんは明治32年に、今のJR鳥取駅から千代川を8キロほど遡った鳥取市倭文(ひとり)に生まれられ、17歳で上京。印刷屋さんで仕事をはじめられましたが、縁あって履物を商うようになり、目黒や白金三光町で履物屋を営んでいました。同郷の行野さんと結婚され四男二女に恵まれましたが、戦争前にご次男を十歳で亡くされました。
 鳥取も仏縁の篤い地でありますが、そのようなこともあり、教えにふれる事となったようです。私が子供の頃、房蔵さんはほぼ毎週お寺に来られていたのではないでしょうか。
 また、残念ながら宗派から離脱してしまいましたが、浅草別院(東京本願寺)でもお世話人をされていて、婦人部の人気者だったとか。
 三男の忠さんは中央大学を卒業後、主に営業の仕事をされ、現在も保険のお仕事をされています。房蔵さんの後を受け総代さんに就任いただきました。
 平成になってから西光寺の本堂が手抜き工事により老朽化が進んだことを受け、建築委員会を立ち上げました。建築委員としてもご尽力いただき、平成8年に無事に落慶法要を勤めることができました。
 本堂ができたからにはお寺の教化活動を充実させようと、お寺としても取り組んできましたが。本多雅人蓮光寺住職に永代経の講師として来ていただくようになり、そのようなことがいくつか重なるご縁をいただくこととなり、平成10年蓮如上人500回御遠忌事業の推進員要請講座を「いのちのふれあいゼミナール」とし行ったわけですが、そこで大きなきっかけとなり、門徒会にも参加され、東京2組の多くの方々(同朋)と本山で帰敬式(おかみそり)を受け、仏弟子として法名を「釋宣忠」と名告ることによって、これまで以上に聞法の大切さを行動で示してくださっています。
 保険業界の研修会に本多雅人氏を講師として招聘し、大きな反響があったと嬉しそうに語っている姿を見ると、仏教の教えは特別な人が聞くのではなく、同じく苦悩を生きる人に響くのだということがよくわかります。
福田 忠 俊子さん ご夫妻東京2組門徒会副会長を二期務め、現在会長も二期目となりました。西光寺にとっても東京2組にとっても重責を担っていただき、他のお寺の門徒さんとも深い交流が進んできたのも福田さんの人徳でありましょう。
 とりわけ、西光寺での聞法会(偶数月第三土曜日)のあと、また、「いのちのふれあいゼミナール」での懇親会ではなくてはならない方であります。
 お内仏(仏壇)は三十代の立派のものです。お給仕はこれで良いと思いますが、スペースの問題もあるのですが、「三具足」(鶴亀の燭台、香炉、華瓶)が揃うと尚良いでしょう。

福田家 お内仏

三具足