坊守のつぶやき 7号
精神科医の方が、ラジオで話されているのを聞いたことがあるます。
最近、心療内科に青い顔をして訪ねて来る方が増えまして、
話を聞くとペットが亡くなりショックを受けている。いわゆるペットロスですね。
亡くなっていくということが年上からなら、そういうものかと納得できるのですが、ペットは子供と同じでそのペットが亡くなると年下が亡くなるという、
子供を亡くすという感覚になり、重症の鬱病を起こしてしまう。
医療の現場でも、看護師の方は死を看取るということが多いにもかかわらず、
人を生きらせること・健康にすることへの教育しかされていないので、身内が亡くなり親族が悲しみ落ち込んでいるのに、どの様に声をかけていいのか分からない。どうしたらいいでしょうか?との相談が多いのです。
世界では宗教が有り、
『人は死んだら一体どうなるのか』
という知識をそこで持つことができる。死の準備ができるのです。
世界には、死に対する考え方が3つあって、
①死んだらおしまい(日本人の考え方)
②生まれ変わる
③違う世界(天国・浄土)に往く
日本人は死んだら終わりと思っている。何もかも無くなってしまう。
昔の日本人は、ご先祖様が守ってくれる、ご先祖様の元に行く、そしていつか生まれ変わる、という考え方があった。
でもそこでお寺のお坊さんの話を聞いていたら、身近に亡くなる方がでた時、お坊さんの話を思い出す。身内の死にショックを受けた時、今まで自分がバカにしていた、「天国なんかあるもんか!ご先祖なんかどうでもいい!!」と思っていた人が、お坊さんの話を思い出す。
信じなくてもいいが、ああそういうこともあるのかと、それにすがる気持ちも出て来る。聞いてないと鬱になる人もいるのです。
お盆が近いので、お寺でお説教を聞かれてはいかがですか? ―
と、このような話をされてました。
人は死を忌み嫌い、見ないようにして自分から遠ざけようとしますが、生と死は表裏一体です。 〈生のみが我らにあらず。死もまた我らなり〉(清澤満之/真宗大谷派僧侶・哲学者)
毎日は同じ生活の繰り返しに見えますが、これは奇跡だと思いますよ。
当たりまえの毎日は、いつまでも続く訳がないのです。何が起こるか分からないのが私達。そういう事が起きるかもなーと、思っているだけでも心の準備ができるのではないでしょうか。
お寺のお説法も今聞いても分からないかもしれませんが、聞いた話が頭の片隅にでもあれば、いざという時、「あ〜住職の話はこういう事だったのか」との気付きになるかもしれません。
法事・春秋お彼岸・お盆・永代経・報恩講・聞法会と、住職がお話をしております。いつでも、どこでも、どなたでも、お気軽にお寺へ来てお話を聞いて行かれませんか? お待ちしております。
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