坊守のつぶやき 31号

 
 今年もあと二週間か。できれば笑って一年を終えたいものだ、とつい思ってしまう。毎日同じような生活をしていると、生活の中で笑いに包まれることは、そんなに多くはないのです。
 先日、TikTok(ティックトック)を何気なく見ていたら、『安住紳一郎の日曜天国』のラジオ放送の一部抜粋したおもしろ話がUPされていたのです。
ハガキ職人さんからの投稿で、こんな話があったのです。
父が近くの病院に入院した時のことです。
着替えを持って来てくれと朝電話があり、どうしたのだろうと病院へ届けると、二人部屋の父はすぐに着替えたのです。
話を聞くと•••
昨夜、寝ていたら全身が痒くなり痒み止めを塗ろうとしたけど、灯りをつけて隣の方を起こしてはいけないと思い、暗い中手探りで痒み止め容器を手に取り塗ったのだとか。
ふくらはぎ、太もも、おまた、お尻、胸
胸のあたりから何か違う匂いがして、異変を感じたらしいのです。 
痒み止めだと思って塗っていたのが海苔の佃煮でした。何度も何度も容器から指ですくい、手にとり体に塗っていたのです。
翌日、全身にはりついてパリパリに乾いた海苔をお風呂で流したのでした。
 
笑った笑った!お風呂上がりでリラックスしていた私は、不意に聞いた話で涙が出るほど笑ったのです。
私も冬は皮膚が乾燥して体が痒くなります。お風呂上がりはニベアクリームを塗って対策するのですが、この前ボッーーとしていて、
オロナインを塗ってました。―伸びが悪いなーと思ったらオロナインだった。軟膏だし害は無いのですが何やってんだろう、私はと。他にも、歯磨き粉と洗顔クリームを間違えて口に入れたら、「うわっ、変な味!」トホホです。なかなか笑える話にはなりません。
 
 以前、西光寺の報恩講で『節談(ふしだん)説教』をしてもらったことがありました。
高座に上がった説教師が、言葉に抑揚(節)をつけて歌うように語る。例え話を多用し、人情話を織り交ぜ、笑いと涙を誘う分かりやすい内容となっている説教のことです。
現代の落語・講談などの諸芸能も、この節談説教が母体であるとされています。
 親鸞聖人が教えを説いていたのは、文字の読めない庶民だったのです。そんな庶民にとって難しい仏教の教えを解くのに、歌うようにメロディに乗せて、笑いを交えて教えを伝えていったそうです。
それを大いに広めたのは、節談説教の存在があったからだと言われています。
 
 西光寺住職も年回法要でお説教をさせてもらっています。お聖人の教え、如来さんの教えを分かりやすく伝えようとしていますが、なかなか笑って泣いて感動とまでは難しいようです。
 さて今日もとりあえず、口角をグッと上げて、笑いながら眠ることにしましょう。これだけでも幸せホルモンが分泌されるそうですよ!
 
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