坊守のつぶやき 30号

 
 西光寺のある台東区は上野・浅草で有名ではありますが、ゆかりのある人物も結構いらっしゃいます。
 
【樋口一葉】名作「たけくらべ」の舞台となったのが今の竜泉という場所で、一葉の文学業績を後世に遺すべく地元の支援者と台東区で『一葉記念館』(台東区竜泉318)を建設しました。
【山下清】大正11年浅草生まれで、「石浜小学校」に入学、その後12歳で北千住へ引っ越した。関東大震災で生まれた田中町は燃えて無くなったそうです。
【中村不折】明治・大正・昭和に活躍した洋画家・書家。夏目漱石「吾輩は猫である」の挿絵画家として知られる。台東区根岸の旧宅跡に『書道博物館』(根岸210)を開館した。
【朝倉文夫】明治・大正・昭和の彫刻家。日本近代彫塑界の最高峰で、「東洋のロダン」と呼ばれた。生まれは大分県で上京して現東京芸術大学に入学した。私宅のアトリエを改装し『浅倉彫塑館』(谷中71810)を建設、一般公開している。
 台東区は言わずと知れた東博〔東京国立博物館〕や美術館・パンダのいる上野動物園など、西洋絵画や仏像好きの私には近くにこれだけの施設があるのは嬉しい限りです。 
 
 そして西光寺には、松倉米吉という歌人のお墓があります。
明治・大正の歌人で、生まれは新潟ですが高等小学校中退後上京、本所のメッキ工場で働くかたわら「アララギ」に入会。労働者の生活体験を詠われました。二十三歳で夭折した歌人は、貧しさと戦いつつ炎のように燃え尽きた生涯だった。 
  わが握る木槌の柄へり光けり
    職工をやめんといくたび思いし
 
  食堂の午後の静けさ定価表
    ひそかに見つつ過ぎにたりけり
 
  菓子入にと求め置きし瀬戸の壺にと
    なかばばかりまで吾が血たまれる
 
 結核の病に罹り、貧しい生活の中で読まれた歌は、鋭く研ぎ澄まされていきました。
どのような経緯で西光寺にお墓がたったのか詳しくは知らないのですが、今でもたまにファンの方がお墓参りに見えます。
 
  宗祖親鸞聖人が九歳で得度されるとき
   ―明日ありと思う心のあだ桜

      夜半に嵐の吹かぬものかわー

親鸞聖人得度童形像(京都・青蓮院)


 
(今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろう、と安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない)と詠まれている名句が有ります。
 明日、自分の命があるかどうかわからない。
だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい、との思いがこもった歌ですね。
 
 短歌も一時期流行りましたが、最近は自由律俳句や、テレビでは芸能人の方々が俳句を読むという番組も人気です。老若男女出演されていますね。
台東区の広報紙『たいとう』にも俳句コーナーがあり、以前そこに西光寺のお檀家さんの名前を見つけてびっくりしたことがありました。掲載されると嬉しいですよね。
 
趣味がなくてつまらないと思っている方がいれば、俳句や短歌は紙とペンが有ればいつでも始められますよ。なかなか乙な趣味ではありませんか!
 
坊守のつぶやき 目次へ