坊守のつぶやき 26号

 
 同級生が死んだ。
この時期に届く喪中欠礼のハガキで初めて知ったのだ。
春に亡くなっていた。
年齢を重ねて行くと同世代の人の亡くなったニュースが増えて行く。
 今年は YMOの高橋幸宏さん、坂本龍一さん、鮎川誠さん、笑福亭笑瓶さん、もんたよしのりさん、谷村新司さん、 KANさん等々
高校生時代、関西で人気が出始めていたアリスのコンサートに、友人二人とよく行っていた。アルバイトをしながらお小遣いを貯めてチケットを買い、京都会館や厚生年金会館のコンサートに行ったり、ラジオの公開収録をデパートに見に行ったり、フォークギターで曲を爪弾いてみたり •••楽しかった「想い出」として、故人の死と共に思い出していた。

 
 両親を送ることは いつかは来ること と心の準備ができてはいたが、同級生や知人の死はそれとは違い、死が隣にあるんだなと漠然と思えるようになった。近づいたというか •••
 「死」は誰にでも来ると頭では分かっているのだが、だから 今を大事に生きなさい と皆には言って来たのだが •••なにぶん毎日の生活の中では、死は忘却のかなたに追いやられ、いかに元気に健康に生きていけるか、とその事ばかり考えている。「死」と向き合うことは本当に難しい。
亡くなった人々はそんな私達に、死を思い起こさせ、死を見据えることによって、生命 (いのち )とは何か、生きることはどういうことかを死をもって教えてくれているのだ。お葬式やご法事はそういう意味では大事なことなのです。
 
 このようなお話を聞いたことがあります。
葬式の一つの大きな意味は、死者が全身心をあげて、残った者達に語りかける遺言の一言を聞くところにあるのではないか。最後の遺言とは何か
  「死ぬんだよ。あなた方も。必ずこの日が来る。しかも予告なし、待ったなしに。いつ死んでもよいような今日只今の生き方をしなさい」と。
 
同級生の死で私は何もできなかったけれど、彼女のことは忘れないようにしたいと思います。「忘れないことも一つの供養」なのだから。
 
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