坊守のつぶやき 19号

 
 
 前回号でも書いていたのですが、私はインスタグラムやツイッターは見るだけで、自分から発信はしないのですが、ネットニュースは手軽に読めるので、ちょこちょこ見ています。 
 全国紙や地方新聞、エンタメなどざっ〜と目を通しているのですが、そんな中に啓発ニュース(?)もあって、
「人生を楽しく生きる100のこと」とか
「好かれる人には共通点が。誰でもできる…」
「老けない女性の特徴」とか、 how toものですよね。
 何となく読んでしまうと、ネットでは似たようなニュースをどんどん送り込んでくるわけです。
 これをやれば歳をとっても未来は明るいみたいな。
 情報過多でますます苦しくなってくるのです。
―これができないから、私はダメなんだ。これをやれば問題が解決して穏やかに過ごせるのかも―
でも、やっぱりなんだかモヤモヤ、ザワザワします。
 
 お釈迦さまだって、苦しまれた。
生きることは苦しいことである、と。
「苦」には「 四苦八苦」(しくはっく)と呼ばれる八つの苦しみがあります。
 

生老病死
 生 苦(しょうく)―生きる苦しみ
 老 苦(ろうく)―老いる苦しみ
 病 苦(びょうく)―病の苦しみ  
 死 苦(しく)―死ぬ苦しみ
この四苦に
  愛別離苦(あいべつりく)
     ―好きな人や物と離れる苦しみ
  怨憎会苦(おんぞうえく)
     ―嫌いな人と会わねばならない苦しみ
  求不得苦(ぐふとっく)
     ―求めるものが得られない苦しみ
  五蘊盛苦(ごうんじょうく)
     ―肉体と精神が思うようにならない苦しみ 
 後の四つの苦しみを加えて 八苦となるのです。お釈迦さまは、この思い通りにならないという苦しみを、長い年月をかけて悟っていかれました。
 
 「聞法して勉強させてもらって、何となく分かったような気がします。」と、私たちは問題を解決するために、仏法を聞いて勉強して答えを求めようとしますが、そうじゃないような…
答えを得るためにすることではなく、自分が自分自身の問題として明らかにしていくことが聞法。
 
「病気になったのは、周りのストレスのせい」
「こんなに働いているのに、会社は昇格させてくれない」
「自活できないのは、親のせい」とか、
 幸せになれないのは自分以外に原因があり、不満や怒りを抱いてしまう。この怒りは全て自分の心が生み出していることに気がつかなければ、安心して生きていけない。
 しかしこれがなかなかしんどい、手強いですよ。
 だから聞法を通して、そんな自分を知らしめてもらう。―ああ〜、またやっちゃったーと。
 問題は解決しないけど、執着している自分の心に気づいたら、何とか対処する方法を思いつくかも。
 歳を重ねても、穏やかな日々を送るなんてできないの。でも、それでいいの。それが私!
 
 親鸞聖人も仰ってます。
『臨終の一念にいたるまで とどまらず、きえず、たえず』と。
        ―『一念多念文意』―
 
 
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