今月の言葉 

いったい幾つの耳を持てば 
人々の泣き叫ぶ声が
聞こえるのか
あまりに多くの人が 
死んでしまったと気づくまで
いったい幾つの死が必要なのか
    Blowin’ in the Wind
      (風に吹かれて)
        Bob Dylan

 
剣をとる者はみな
剣で滅びる
    新約聖書
 
 
国豊かに民安し
ひょうが
兵戈(兵隊や武器)
用いることなし
    仏説無量寿経

盂蘭盆会合同法要
新盆合同法要勤修

 
 七月一五日午前、午後にそれぞれ合同法要をお勤めいたしました。
「手を合わせるということが忘れられてきた時代」ということで、少しお話しをさせていただきました。
 今、何でも自分のために用意されているのが「当たり前」と受け取る人びとが多くなった時代と感じています。ある調査では、「身近で手を合わせる大人を見たことがない」と答えた小学生が七割以上ということだそうです。子どもたちを取り巻く環境は、自分の周りで手を合わせる大人を見たことがないという世界になっているのです。お内仏(お仏壇)の前はもちろん、食事の時も手を合わせている人は少なくなったのではないでしょうか。皆さまのお宅ではどうですか?
 「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせていただいていらっしゃいますか?
 また、有用か否か、役に立つか立たないかで線を引き差別されることが平然と行われることも珍しくありません。そのような酷(むご)い社会になっていっているようです。その結果、いのちを粗末に扱うことが社会に広がってきているのではないでしょうか。

 現代では、頭がいい人が尊重されて、法律に触れなければ何をやってもいい、起訴されなかったのだから問題ないと、堂々と言い放つ人が政治家をはじめ多く散見されます。ところで、日本語で頭がいいとか悪いという言い方は、昭和初期に生まれた言い方だそうです。モダニズムという目まぐるしい時代の変化に応じた回転の「速さ」が要求され、速ければ頭がいい、遅ければ悪いとされたそうです。(桶谷秀昭『昭和精神史』東京新聞より)
 それまでは「賢い」か「愚か」で、回転の速さはむしろ「要領がいい」だけだったということです。これは現代までずっと続いている問題ですね。テストでいかに早く答案を書けるか、それに長けた人が頭のいい人と評価されているのではないですか。 
 ノーベル賞を京都大学の先生が受賞されましたが、基礎研究あってのものであるということを、これまで受賞された方々もそうですが同様のことを指摘されていました。
 現在では、いかに効率よくカネに成るかどうかで研究の価値が判断され、基礎研究の予算は削られるばかりだそうです。そこで、賞金も薬の特許料も基礎研究の基金として京都大学に寄付することも言われました。「日本人」が金メダルなど世界的な業績を上げると、わざわざテレビカメラの前で「祝福」するパフォーマンス?が好きなどこかの総理大臣はどう聞いたのでしょうか。

 安田理深先生は、「人間は偉いものではありません。尊いものであります」と教えて下さいましたが、いのちの尊さを本当に大事なこととして受け止めることは何処かに忘れ去られているかのようです。