小林一茶に次のような句があります。

おち葉して 仏法流布の 在所哉

 流布とは「世に広まること」在所とは住んでいる所」ということで、落ち葉の頃とは秋も終わりの季節で、浄土真宗に深く帰依していた一茶を思えば「報恩講」を指しています。御正忌・親鸞忌・御講・お取越などともいわれ、俳句の世界でも冬の季語とされ古来多くの句が作られているそうです。
 秋も終わり農作業も片付きほっとする時期、木の葉も大地に還って静な時が訪れ、報恩講を告げる各寺の梵鐘の音が流れてきます。今まで忙しく、外に向いていた心も自然と内に向かいます。「意馬心猿」という言葉があります。心が馬のように走り回り、せわしく騒ぐ猿のように、煩悩や情欲に振り回されて、落ち着きのない状態を表す言葉です。 まさに私たちの生活は意馬心猿のただ中にあり、そのような自己をしみじみと見つめさせていただくという報恩講の季節が、落ち葉と共に訪れたことを詠ったものでしょう。
 一茶の父、弥五兵衛の深い信心を知らされる出来事がありました。病床にあっても朝夕お勤めを怠ることがなかったが、医者がさじを投げたので、一茶は「加持祈祷(かじきとう)をして、諸仏菩薩のご加護をいただいたら」と言うと父は「それは浄土真宗の教えに反する」と言って許しませんでした。弥陀一仏の慈悲を仰ぐ者は、ご祈祷や日柄・方角選ぶなどあってはならぬと教えられて来たのです。蓮如上人の「御文」(手紙)にもある「物忌」(ものいみ)などしないのだということを父は徹底していたことをよく表しています。また、見舞いに来たある人が枕元に寄り添い「往生の大事忘れ給うな」と念仏をすすめ、自分も声高々と念仏申したとも記されています。このような父の信心が一茶に影響を与えずにはいません。

ともかくも あなた任せの としの暮


 「あなた」とは阿弥陀如来です。阿弥陀様に一切を任せて生ききる絶対他力の世界を詠った句であります。