インド紀行

既に一年近くが経ちましたが、次男の海が夏休み利用してインドに行ってきました。紀行文のようなものが出来ましたので掲載します。

二〇一二年九月二日から七日までインド旅行に行ってきた。私が現在学んでいる大谷大学では、夏休み期間にインド研修があり釈尊ゆかりの地を訪れて仏教に触れる期間がある。当初は私もそれに参加しようと思っていたが、今年は申込みが多く既に定員を超えていたので、同じコースの先輩たちと勝手にインド研修をすることになった。

 初日、十時の成田発で中国・広州を経由して現地時間二十二時頃に首都デリーに到着。現地ビザを取得して無事入国。日本から予約していたホテルに向かうためにタクシーに乗車した。しかし、ブロックナンバーが分からないと言われ地下にある怪しい雰囲気の旅行会社に行くことになった。ホテル前の道路がフェスティバルで閉まっているので泊まれないと言われて仕方なく予約をキャンセルした。そこで他のホテルにも連絡してもらったが、どこも予約を取れず仕方がないのでその場でアーグラとバラナシに向かうことになった(これらの流れが騙しの常套手段
であると気付くのはもう少し後になった)。

 アーグラまで五〇分くらいの距離と言われたが実際には五時間以上かかった。しかも、私たちが寝たらドライバーも眠たくなるとのことで深夜にも関わらず車内で寝るなと何度もいわれ、長時間のフライトで非常に疲れていたので本当に辛かった。結局アーグラに着いたのは朝六時でやっとの思いでホテルに着いた。
 少し休息し昼過ぎにタージ・マハルへ向かった。ムガル朝第五代皇帝であるシャージャハーンが愛妃であるムムダース・マハルが亡くなった時に建造されたお墓であり、建物のほとんどが白の大理石で出来ており墓石は地下墓地に安置されていた。日の入りの時に裏側から見た時と、日の出の時に正面から見たタージ・マハルは陽光によってより神秘的な姿となり、ずっとその場にいたいと思わせるものであった。
 アーグラでタージ・マハルに感動し、ドライバー兼ガイドといろいろ話をしながら夕方過ぎにアーグラ駅に向かった。駅近辺では屋台で商売をしている人が多くて賑わっていた。夜行列車に乗ってバラナシに向かったのだが、天井が狭く圧迫されている感じが強く、アナウンスもなく時間も遅れるので終始緊張して乗っていた。
  バラナシに到着して、まず最初にサールナートに向かった。サールナートはブッダが初めて説法をした場所であり仏教徒にとっては重要な地である。現在のサールナートは高台や資料室があり自然も多くて公園のように思えて仏教の聖地のような感じはあまりしなかった。 

 ガンガー(ガンジス河)に向かったのは夕方だったが、沈んでいく夕日とガンガーの広大さに目を奪われた。しかし、バラナシは今回訪れた地の中では怖い地であった。火葬場に行く途中の道で、火葬場のことを勝手に説明してチップを要求され、払わなかったら腕を掴んできて無理矢理払わそうとしたり、大通りで物売りがひっきりなしに声をかけてきて内緒で麻薬を勧めてきたりしてきた(勿論買っていない)。しかし、これらのことは日本で経験することはまずないことであり、日本の裕福さや平和であることを実感した一日だった。
 最終日は、ガンガーに昇る朝日を見に行ったが、あいにくの曇り空で朝日を見ることができなかった。早朝のガンガーは沐浴をしている人が多く、歯を磨いたり水を汲んでいる人たちもいる。バラナシの一日はガンガーに来ることから始まるのだろう。早朝のガンガーはやはり神秘的で長い時間その場に佇んでいた。
 今回のインド研修で、ブッダにゆかりのある地の空気に触れて非常に良い経験をすることが出来た。時間がなくて行けた所は限られたが充実したインド研修であったと思っている。研修に行かせてくれた両親に感謝してまた日々邁進していきたい。