永代経法要

有縁のひとびと相寄り集い
亡き人を偲びつつ
如来のみおしえに
遇いたてまつる

 風薫る季節は西光寺の永代経法要がつとまる季節でもあります。西光寺とのご縁をとおして親鸞聖人の教えを尋ねてきた多くの先祖方と、自覚的であるなしに関わりなく その願いを受け継ぐいのちのバトンを手渡された私たち一人一人の大切な法要です。
 昨今、『葬式は、要らない』という本が売れている背景には、生きて在ることの「あたりまえ」感覚、そこから死んだ後のことまで考えない、自分は神や仏にすがるほど弱くない。等の考え方が広がってきていることが挙げられると思います。
 最近、「葬儀の場に悲しみが無くなった」と指摘する識者は多くいます。あたかも自分には死や老いは永遠にやってこないかのごとく生のみを謳歌する現代社会にあっては、遺体はモノ化し、亡くなった人を送るという儀式は無駄なもの、迷惑なものとされていくのは必然なのかもしれません。


 仏教、とりわけ真宗の仏事は「亡き人を偲びつつ、如来の教えに出遇」って来た歴史であります。
 日経新聞4月26日夕刊に本多雅人先生の記事が取り上げられています。その中での「人の死を自らのこととして受けとめ、自分の生を見つめ直すところに葬儀の意味がある。教えが伝わる重要な瞬間で、僧侶の姿勢が問われる場でもある」と語っています。
 西光寺にご縁のある全門徒の皆さまと、亡き人を偲びつつ如来の教えに出遇っていきたいものです。お斎(昼食)を用意して皆さまのお参りをお待ちしております。