今月の言葉 

いったい幾つの耳を持てば 
人々の泣き叫ぶ声が
聞こえるのか
あまりに多くの人が 
死んでしまったと気づくまで
いったい幾つの死が必要なのか
    Blowin’ in the Wind
      (風に吹かれて)
        Bob Dylan

 
剣をとる者はみな
剣で滅びる
    新約聖書
 
 
国豊かに民安し
ひょうが
兵戈(兵隊や武器)
用いることなし
    仏説無量寿経

「もったいない」 

大谷専修学院院長 孤野秀存

 
 ひととき、「もったいない」という言葉がはやった。
 北陸に生まれた私は、住職である父や門徒(信徒)の方々が、何かにつけて「もったいない」と言うのを聞いて育ったので、「もったいない」は身に余る恩恵を受けたり、思いがけない幸せにめぐりあったときに使う言葉だと思っていた。この身が生かされているという素朴な生命感覚から、目の前にある物や、共にいる人を大切にすることだと思っていた。
 ところがいつの間にか、「もったいない」は自分の都合で量るものになってしまった。思い描いたような効果が生じないときや、迅速に効率的に目的を達成できる方法があったのに回り道をしてしまったときに「もったいないことをした」という。 
 たしかに無駄をはぶくことは大事なことだが、「もったいない」が効率の善し悪し、成果の大小にすり替わってしまっている感じがする。
 効率、効果のみを追いかけるのは何か大切なことからずれているように思う。
 コスト万能の社会で、「費用対効果」という言葉が伝家の宝刀のように力をふるっている現代、小さなかすかなものに心をとどめるには愚の骨頂かもしれない。
 しかし、私どもはコストや効率で割り切ることのできない「煩悩具足の凡夫」の身を生きている。かつてのお年寄りたちは凡夫の身に与えられた無量の縁を「勿体ない」と受け取ったのである。
『今を生きる十二篇』(真宗会館発行より)
 
 車でお参りに行くときラジオよく聴いています。ずい分前から、弁護士事務所や司法書士法人の、過払い金請求のラジオCMが流れるようになりました。「どうせ戻ってこないだろうとお調べしないのは、もったいないですね」と最後に訴えかけています。法律の上限を超えて支払った利息ですから正当に手続きをして返却を求めることは当然の権利ですが、「もったいない」の意味ははたしてどっちでしょうか。
 
 ところで、東京新聞にあった同志社大の浜矩子教授が「 人は人らしい名で呼ぼう。」と結ばれたコラムが目に止まりました。
  「人手。人材。人財。労働力。マンパワー。以前から存在する言葉である。だが、改めて並べてみるととても気になる。
 これらの言葉に共通するのは何か。それは、一見して明らかだ。人間を人間扱いしていない。人を道具としてしか見ていない。(略)
 「猫の手も借りたい」という言い方に通じるものを感じる。人手不足になってしまった。だから外国人労働力を受け入れる。」
 でも5年が限度で、家族を連れて来ちゃ駄目よと、いうのがこの春から始まった制度ですね。続きを引用します。
  「人材というのも、不気味な言葉だ。人手確保に奔走する経営者たち。人材難に陥る事を恐れる起業家たち。彼らは、自分たちのもとに集まってくれた人々をどのようなものとみなしているのか。素材や資材や木材と同じ感覚で位置づけているのか。働く人々は材料なのか。(略)
 ある時から人は貴重な財産なので人財と書くようにもなったというのですが、これとて、「財」は経済用語でモノ(サービスを含む)を意味するといいます。消費財・生産財・資本財等で、人財と書き換えてみても基本的に人間扱いしていない点に変わりはないと指摘しています。
 「労働力」や「マンパワー」も人間を、使いつぶしのきく機械視にほかならないと言われます。
 「一体いつから我々はこんな言葉を使って働く人々を語るようになってしまったのか。(略)人が道具を使うのではなく、機械が人を働かせる。この関係が形成された時、人は人を人扱いしなくなった。(略)『我々が求めたのは労働力だった。ところが、やって来たのは人々だった』(マックス・フリッシュ(1911〜91・スイスの小説家)のあまりにも有名な言葉だ。人は人らしい名で呼ぼう。)
 
 まさしく、効率・効果のみを追い求めてきた先にグローバル化があり、現代ではお金に換算された利益を最大化するためのシステム統一としてすすめられているそうです。
 そうなれば必然的にお金を増殖させることが目的になり人々の働き、消費もお金のための道具なっていってしまうのは、今、多くの人がおかれている働く現場で起こっている現実を見れば頷けることだと思います。
 働き方改革関連法案が順次施行される中、過重労働やハラスメントに耐えて働く「社畜」を描く漫画本が共感を集めているそうです。
動物キャラクターの主人公が横暴な上司に反抗する様子をコミカルに描いた作風で共感を呼んでいるということです。
 例えば「残業をなくそう」と書かれたスローガンに向かって、「なあスローガン。 お前のお陰で土日も出勤よ。」や、上司が「連休ってなんか予定あんの?」と聞いてきた場面では「遠まわしじゃなく、連休出勤してくださいって言ってみろ。」(『テイコウペンギン』講談社)などを見ると、多様な価値観の人々が共存して、働くとは何かを考える動きが深いところで共鳴している事を感じます。
 偶々書評で目にした、家族の虐待と労働をめぐるブラックさ、動物に対する残虐さ。いのちを破壊するシステムについて取り上げられているという『いのちへの礼儀—国家・資本・家族の変容と動物たち』(筑摩書房)を読んでみようと思う。
 
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