常 照 我
心の底から笑うということがなかなか難しくなってどれくらい経つだろうか。京都にいた頃、友人からテープをもらったことがきっかけで落語を聞くようになった。上方落語ではなく三代目三遊亭圓生の「居残り佐平次」だった。自分でもレコードを買ってはいろんな話を聞いていた。職場で口上を真似していたら先輩が面白がってくれて、彼も聞くようになった。余談だが、三十年ほど経って、その先輩のお嬢さんが東京の音大に進学し寺に挨拶に来てくれた。「父が落語好きなので寄席によく行く」とのこと。時を経て落語好きが一人生まれたきっかけになったのか?
圓生師匠が古典落語をきちんと残したいという企画か、スタジオで録音したカセット二十本組の全集を知り合いから頂いた。自分で買っていた東横名人会などでのライヴ盤は話しを端折ったりしているが、生の方が活き活きとした落語になっていて、あらためて話というのは生物だなと思った。京都では坊守と桂米朝師匠の独演会にも出かけ、江戸と上方ではスタイルが違うことも新鮮だった。
今は殆ど聞いていないが、笑いということを考えてみた。京都に居た頃、東京からの人間は周りに殆どおらず、また、逆もそうで、今のようにテレビで毎日のように関西の言葉が東京で聞くこともあまりなかったとの印象が強い。
坊守には「笑いがわかってない」と言われるが、江戸と上方の違いか。子供の頃、土合さんというご門徒がよく浅草演芸場のチケットをもってきてくれたので、何度も通ったものだ。
立川談志師匠が「 落語とは人間の業を肯定するもの」

と言ったと聞いてなるほどと思った。落語には立派な人物は出てこない、抜け目なくずるくても、間抜けだったりと憎めない人物が活き活きと語られている。物知りの大家さんにしても、それ本当に?とツッコミを入れたくなる。思わずクスッとしたり、涙を流したり、バカバカしさに自分も同じような間抜けだなと思ったものだ。
植木等ではないが「わかっちゃいるけどやめられない」のが凡夫たる人間であろう。
(『スーダラ節』を吹き込むという時、こんないい加減な歌は歌いたくないと思っていたが、彼の父で浄土真宗僧侶の植木徹誠は、この歌は親鸞聖人の教え通じると息子に言ったという)
ほとんどテレビは見ないが、お笑い芸人の多く出ているバラエティ番組を食事時に目にすることがある。多くは男性に占められ、大物と言われる男性芸人の評価に一喜一憂しているような場面を目にした。人を笑わすことは難しいことだし、笑いも時代によって変わるのだから野暮は言いたくないが、「笑い」というものが、さもすべての価値の上位にあるかのような構成で、誰かや何かを「いじって」嗤うという番組が今は多いように感じる。
テレビで繰り返される弱者や異端の嘲笑、女性蔑視、権威主義を繰り返し見せられた人は、いじめを正当化し、権力のあるものにひたすら従っていく姿勢を内面化していくように感じるのは自分だけだろうか。
辺野古で反対運動をしている人々を茶化して嗤い、堂々と不正をして居直る政治家や、選挙に当選することが最大の目的であるかのように、票さえを貰えれば人を騙してでも献金させ、外国に送金する団体と深くつながったりする政権党を擁護し、批判する者を攻撃するということが繰り返されている。
居直る政治家の口から、政治は金がかかるというが、実は選挙に金をかけるための裏金であることが見えてきた今日この頃ではないのか。
生きづらい世の中で笑いが求められるのは当然だが、人を傷つける暴力を醸成するものであってはならないとおもう。